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コラム

2014/12/01
学生と日々接する中で感じていることや思いなど、
毎年3人の東海大学の教員がそれぞれの視点からつづるリレーエッセイ。

彫刻刀で刻みつけたような旅

文学部日本文学科 出口智之 准教授

9月、夏の去りつつある青森を旅した。津軽半島を巡って竜飛崎に宿り、翌日はフェリーで下北半島に渡った。恐山の近くでさらに1泊し、大間崎や仏ヶ浦、あるいは尻屋崎まで北の海岸線に車を走らせた。茜(あかね)色の雲と日本海に沈む夕日、穏やかな湖面のような陸奥湾、スコットランドを思わせる荒涼とした尻屋崎の岩稜、いずれも近づく秋の気配を潜ませて静かだった。

もう何度目の青森かわからないが、どこか訪れるたびに思い出されるのは、大学2年の夏、友人と2人で出かけた東北一周の旅である。東京を出発し、寝台特急あけぼのや太平洋フェリーも使う全7泊7日の行程で、旅の終わりは実家のある名古屋へと帰った。鉄道とバスしか使えない学生の貧乏旅行だから、とても今回のような僻地まで足を伸ばす余裕はない。青森では奥入瀬渓流や恐山に行くのがせいぜいで、時間の大半は青春18きっぷで乗った鈍行列車に消えた。

そのようにして辛うじて訪れた場所、あるいは訪れられなかった場所は、彫りつけられたような強い印象で心に残っている。奥入瀬近くの民宿で出会った女将の面影や、三戸あたりを走る列車の車窓から、夕闇に沈む谷あいの村々の灯火に感じたたまらない郷愁は、今も鮮明で忘れることができない。そしてまた、ついに行けなかった竜飛崎や仏ヶ浦は、逆に長く憧れの地となっていた。その後、いくたび東北を訪れても、修正を繰り返しながらあの旅をなぞっているような気がする。

ただ一度の旅の存在感がこれほど大きいのは、感受性の若さや初めての長期旅行という高揚など、いくつかの理由があるだろう。だが、最も大きいのは、旅に全身で向き合っていたためではなかったかと思う。まだ携帯では通話かメールくらいしかできず、荷物を軽くするために好きな本も持てず、友と話すほかはひたすら車窓の風景を眺め、地図と時刻表で位置や計画を確認し、土地の空気を感じ続けた。今はこちらが主流となった、天離(あまざか)る鄙(ひな)の地へ車を飛ばす旅も好きだし、でないと鹿児島県南端の佐多岬や、知床の山中にある熊の湯などにはとても行けなかったと思う。しかしその一方で、何もない板に彫刻刀で刻みつけたようなああいう旅を、いつかもう一度したいと思わずにはいられない。

(筆者は毎号交代します)

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