コラム
2022/01/01
目に映ったものが何なのか、瞬時には理解できなかった。和泉市久保惣記念美術館へ、江戸時代の《源氏物語図屏風》の作品調査に出向いたのは、つい先週のことである。屏風の片隅、黒い大きな塊を囲むようにして童女たちがはしゃいでいる。一人は手にぽんわりと丸い白玉を持っている。じっと眺めるうちに、雪か、と思いあたった。黒い塊の正体、これもまた、雪のはずなのだ。童女たちが庭ではしゃぐ描写といえば、源氏物語第二十帖「朝顔」の雪遊び―「雪まろばし」である。冬の月夜、源氏は従姉妹にあたる朝顔の君にきっぱりと拒絶され、傷心のさなかにある。そばに控える紫の上は、源氏と朝顔の関係にやきもきして機嫌が悪い。そんな彼女をあれこれ言葉を尽くして構いながら、源氏は庭で雪遊びをする童女たちを眺める。二十帖「朝顔」は、しばしばこの場面とともに語られる。
しかし、なぜ童女たちが夢中で転がしている「雪だるま」状のものは、真っ黒なのだろうか。作品調査の過程で顔料の成分を分析した結果、童女の手中の小さな雪玉からはカルシウムが、大きな雪塊からは銀が検出されたのである。おそらく雪玉は貝殻を主成分とする胡粉で描かれたのだろう。問題は大きな雪塊で、絵師は表現の仕上げに、銀をほどこしたらしい。「月は隈なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたる(月は隈なく照らして、一色に見渡される)」、つまるところ、夜中の雪遊びである。絵師は、月を照り返し文字通り白銀の光を放つ大きな雪塊を描き出そうとしたのだろう。銀には、硫化反応によって徐々に変色するという性質がある。おそらく制作当時、大きな雪塊はまばゆく光り輝いていたのだろうが、今日に至るまでの過程で真っ黒に変化し、一種異様なものとして表出しているのだ。
絵師の意図からは外れたことであろうが、黒い雪塊と、童女のあどけない身振り、小さな雪玉の対比が、なんともいえない面白さを生んでいる。清廉な白雪が墨染めされたかのような塊は、源氏の中にまだくすぶる朝顔への未練や、さらに奥深くに燃える藤壺の宮への恋情の表れのようにも映る。実際、物語の中で、この夜、源氏は藤壺の宮の夢を見ることになる。
作品の経年変化が演出した黒い雪に、源氏の闇と秘められた罪が、ふと重なった。
(筆者は毎号交代します)
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