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コラム

2019/06/01
学生と日々接する中で感じていることや思いなど、
毎年3人の東海大学の教員がそれぞれの視点からつづるリレーエッセイ。

犯罪の「あちら」側

文化社会学部広報メディア学科 笠原一哉 講師

殺人犯とは、いったいどんな凶悪な姿をしているのだろう。新聞社に入社して1カ月後、初めて直接目にする機会を前に、私は緊張していた。酒に酔った女(当時50歳)が、自宅で夫を刺し殺したとされる事件の初公判だった。
 
ところが実際に現れた被告人は、見るからに気の弱そうなおばさんだった。
 
初公判では検察が、被告人の生い立ちから犯行に至るまでの経緯を詳細に述べる。そこで明らかにされたのは、酒やギャンブルで借金を繰り返す夫と、その生活に疲れ果てた妻の姿だった。そしてある夜、テレビのチャンネルを替えることを注意してくる夫の左脇腹に、果物ナイフを突き立てた。
 
「夫婦げんかが絶えませんでした。どうしたらいいのか、わからなくなっていました」とうなだれた被告人の後ろ姿は、とても小さく見えた。
 
その後、いくつもの裁判を傍聴した。中には、たまたま見かけた女子高生を誘拐して殺害した後、両親に身代金まで要求した凶悪犯もおり、事件発生から判決まで大きな関心を集めた。 

一方、話題にも記事にもならない多くの犯罪は、不条理とも呼べる、不幸の連鎖によって引き起こされたものだった。劣悪な生育環境、いじめ、差別、家庭内暴力、ブラック労働、やむを得ない借金……。
 
自分が同じ立場に置かれたら、罪を犯さないと言いきれるだろうか。傍聴席と被告人を隔てる木柵がとても頼りなく見え、「こちら」と「あちら」の境界が溶けていく気がした。凶悪犯罪が発生すると、報道は我々と犯罪者との間に急いで線を引き、異質な存在として徹底的に糾弾する。だが、一部の特殊な事例に瞬間的な関心を集めるよりも、「あちら」側への転落を誘う社会のさまざまなゆがみを可視化し、問題提起するほうが大切ではないかと、私は思う。
 
大先輩の名著だから読んでおけ、と上司に勧められた本田靖春のノンフィクション『誘拐』。そこに刻まれたベテラン刑事の次の述懐が、折に触れ思い出される。

「人間というやつは、他のだれかを圧迫しないことには生きられない存在なのであって、犯罪者というのは、社会的に追いつめられてしまった弱者の代名詞ではないのか」

(筆者は毎号交代します)

かさはら・かずや 1978年北海道生まれ。読売新聞東京本社記者などを経て現職。専門はジャーナリズム論。

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