share

コラム

2016/07/01
学生と日々接する中で感じていることや思いなど、
毎年3人の東海大学の教員がそれぞれの視点からつづるリレーエッセイ。

誰もが楽しめるユニバーサル・ミュージアム

課程資格教育センター 篠原 聰 准教授

目が見えない人の生きる世界の奥行きや広がり、感性とはどのようなものか。博物館に勤めている私は、そんなことを考える。

全盲の広瀬浩二郎(国立民族学博物館)は、「見常者」(視覚優位の生活者)と「触常者」(触覚優位の生活者)という区別を提唱し、「触って驚く博物館」の実践を重ねている。皮膚とモノとの間で交換する温度の感覚や、触る主体と触られる客体の境界が揺らぐ感覚を楽しむなど、触常者の「視覚を使わない」ユニークな感性は、見常者の世界にあって見落としがちな、感覚の多様性を呼び覚ます。

身体性認知科学の分野では、触覚が、私たちの意思決定や心のあり方に影響を及ぼしていることが明らかになってきた。触覚(広義の体性感覚を含む)という感覚器官や皮膚感覚に関する研究が進み、触感を記録し再生する触覚メディアの開発や社会実装も始まっている。 

視覚や聴覚などの諸感覚は系統発生的に触覚から分化したものといえ、それらはいわば触覚の「変奏」である。触常者の経験は、見常者の経験が由来する「原点」として立ち現れることで、無自覚的な視覚優位のヘゲモニーを揺るがすという利点がある。こうして、視覚優位の感性的経験を与える場としての博物館(ミュージアム)は、感性の働きを変える場としてのユニバーサル・ミュージアムに置換される。 

触常者が拓く新たな感性の働きは、「今、ここ」にいる一人の生活者としての人間の感性のあり方に大きな変革を迫ることになる。視覚優位の生き方によって失われてしまった本来的な生を取り戻し、一人ひとりの感性の豊かさを認め合う土壌を育んでゆくだろう。 

波打ち際の数メートル手前に立って目を閉じてみる。すると数秒後には自分が浅瀬の中にいるような感覚を得る。打ち寄せる波が自分を通り過ぎて背後にまで達しているような奇妙な感覚と言い換えてもよい。波打つ音が吹き抜ける風とともに身体を通り抜ける。海に包み込まれていくような感触が心地よい。この現象は、単なる錯覚として理解するべきではなく、感性の新たな働きと捉えるべきものである。触常者の世界を再び閉ざすのではなく、見常者の世界に持ち込むのがユニバーサル・ミュージアムである。(筆者は毎号交代します)

Point of View記事一覧

2024/10/01

サックスという趣味を続ける③

2024/09/01

学歴社会から専門性を重視する社会へ

2024/08/01

スモール・イズ・バルネラブル

2024/07/01

サックスという趣味を続ける②

2024/06/01

外国法を真に学ぶ方法と必要性

2024/05/01

スモール・イズ・ビューティーフル

2024/04/01

サックスという趣味を続ける①

2024/03/01

人生は長い旅路

2024/02/01

“違和感”が教えてくれたこと

2024/01/01

理科で学ぶ「条件制御」を日常に

2023/12/01

趣味のすゝめ

2023/11/01

海を渡ってブリコラージュ

2023/10/01

「推し本」を語り合うこと

2023/09/01

君たちはどう逃げるか

2023/08/01

「未来塾」で見る日本社会の「未来」

2023/07/01

「分かりやすさ」にご注意

2023/06/01

衣付けの楽しみ

2023/05/01

ぷらっと優しいつながりを

2023/04/01

AIが変える検索と教育の未来

2023/03/01

カウンセリングとアドボカシー

2023/02/01

骨にまで残る病気

2023/01/01

まず隗より始めよ②

2022/12/01

カウンセラーもがまださんと!

2022/11/01

骨に記録された食事

2022/10/01

まず隗より始めよ①

2022/09/01

面接室の外の心理療法

2022/08/01

歯の抜き方も好き好き?

2022/07/01

活用なき学問は無学に等し

2022/06/01

模索の日々

2022/05/01

サメに食べられたヒト

2022/04/01

挑戦できない社会人を大量生産しないために

2022/03/01

コロナ禍で進むICT利活用、今後は?

2022/02/01

真夜中の争奪戦

2022/01/01

黒い雪

2021/12/01

思考の整理に便利なツール

2021/11/01

3年半を振り返って

2021/10/01

月明かりが生む闇のかたち

2021/09/01

アフターコロナの学びを考える

2021/08/01

分類学と博物館を巡る旅

2021/07/01

喘息と獣

2021/06/01

学ぼうと思ったきっかけ

2021/05/01

深海魚と私

2021/04/01

作品をみることは、自分自身をみること

2021/03/01

お題〈番外編〉 卒業を振り返る

2021/02/01

趣味を通して世界を広げる

2021/01/01

〈自分の意見〉を伝えること

2020/12/01

お題③ざんねんないきもの

2020/11/01

動物愛護とアニマルウェルフェア

2020/10/01

〈別れ〉と向き合う

2020/09/01

お題② 平均