コラム
2020/07/01
二つの死と三つの誕生について
国際文化学部デザイン文化学科 早川渉講師
1987年、私は進路に悩む大学生だった。専門の生物学の道に進むべきか、それとも大好きな映画の夢へ向かうべきか……。
この年、私は一本の映画と運命の出会いをした。ミニシアターの小さなスクリーンで私の心を奪ったのはロベール・ブレッソン監督の『ラルジャン』という映画だった。ロシアの文豪トルストイが書いた中編小説が原作。一枚の偽札がさまざまな人の手を渡るうちに善良な男の人生を狂わせていくという内容だ。凡庸な演出を施せば教訓的でありがちな悲劇になりそうな題材を、ブレッソンはその冷徹な観察眼とどこまでも無駄を排した厳しい演出で芸術の極みまで引き上げた。
ロベール・ブレッソンはフランスの映画監督で 1901年生まれ。『ラルジャン』は彼の83歳時の作品である。「こんなに若々しく実験的な映画をこの歳で!」。当時まだ20代前半だった私は驚きとともに、焦って成果を出さずともブレッソンのようにじっくり歳を重ねながら何かを成し遂げることもありなのだと学んだ。
本書は『ラルジャン』公開と同じ年に出版された小編である。ブレッソン自身が映画の製作中に書き留めた短い言葉が羅列されているだけの内容だが、彼の映画のようにその言葉の一つひとつは厳しく寡黙で静謐だ。
本書の中に今回のタイトルにもなり、私の生き方の指針となった美しい一節がある。
「私の映画はまず私の頭の中で生まれ、紙の上で死ぬ。それが甦るのは、私が用いる生きた人物や現実のオブジェによってである。これら人物やオブジェはフィルムの上で殺されてしまうが、或る種の秩序の中に置かれスクリーンの上に映写されたとき、まるで水に浸し た水中花のように生を取り戻す」
映画製作の厳しさと魅力がすべてこの言葉の中に込められている。私は大学を中退し映画の道に進むことを決意した。
それから30年。私は映画製作の現場で、教育の現場で、そして人生のさまざまな場面で何度かの死と何度かの誕生を繰り返しながら、今を生きている。
『シネマトグラフ覚書 映画監督のノート』
ロベール・ブレッソン著 松浦寿輝訳
筑摩書房
はやかわ・わたる 1964年愛知県生まれ。北海道大学農学部中退。札幌市内のCM制作会社勤務を経てフリーの映像制作者に。札幌を拠点に数多くの映画やTVCMなどを手がける。2016年より現職。
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