特集:研究室おじゃまします!
2018年12月1日号
妊娠着床率向上を図る
子宮内環境を構築し
総合農学研究所 今川和彦 教授

私たちヒトをはじめとした哺乳類は、着床や胎盤形成を経た「妊娠」によって生まれるが、それは、受精に始まり卵割、透明帯からの孵化、着床、胎盤形成、妊娠の維持、胎児の発育、分娩と続く関門を通過できて、やっと誕生に至る長い道のりだ。その複雑なメカニズムに挑み、ウシの妊娠着床率の向上に向けた研究に取り組む総合農学研究所の今川和彦教授を訪ねた。

「私が専門とするウシの人工授精や体外受精、胚移植による繁殖の技術はヒトのそれと比較しても進んでいますが、発達した技術をもってしても、人工授精による受精率95%に対して、妊娠率(受胎率)は50%程度。さらに受精した胚が受胎する着床率は年々下がっているのが現状です。妊娠初期は、初期胚が子宮内膜に着床し初期胎盤が形成されますが、多くの初期胚が子宮内膜への着床前後期に妊娠を継続できていないのです」

今年度から東海大学に着任した今川教授はこれまで、アメリカ・カンザス州立大学医学部や東京大学大学院農学生命科学研究科などでウシの妊娠補助剤の開発や不受胎牛の早期発見技術法の開発による分娩間隔短縮に向けた研究に取り組んできた。

「研究を通じて、生理活性物質やステロイドホルモンを用いて安定したホルモン環境の作出に取り組みましたが、それだけでは受胎率の向上にはつながりませんでした。ウシの受胎率の低下は、畜産農家はもちろん社会に経済的損失を与えます。農学分野の研究者として見過ごすことはできない課題なのです」

そこで、今川教授が着目したのが「胚の子宮内膜への着床を推進する子宮内環境のコンディションを包括的に構築する」という考えだった。「研究によって胚が子宮内膜に接着や浸潤する際に多数の因子群が機能していることが分かったのです。胚と子宮の細胞が接着している最中に子宮内にある灌流液を解析することで、1933種類のタンパク質を検出しました。さらにそこからバイオインフォマテック法を駆使して選別することで、20種類のタンパク質群によって子宮内環境が模倣できることを明らかにしました」

ヒトへの応用も視野に 研究成果に関心高まる

今川教授はさらに機能解析を進め、現在では子宮内環境を再現するための因子を8種類まで絞り込んでいる。「ここから候補因子群を3から5種類まで絞り込むことができれば、妊娠補助剤への応用も期待できます」

ヒトが人工授精、体外受精を行う際でも妊娠率は25から30%程度であり、産婦人科医や胚培養士など生殖医療関係者からもこの研究に対する関心は高まっているという。今年8月には不妊治療や生殖生物学に関する学術集会「生殖バイオロジー東京シンポジウム」で「動物を通じて着床を改めて考える」と題して講演。また札幌市で開催された「世界牛病学会」でも、日本の研究者としてはただ一人キーノートスピーカーを務め、ウシの妊娠着床について最新のデータを示しながら研究成果を発表した。

「大規模学会での講演は、これまでの成果が認められたことの表れであり、大変光栄です。また、研究者向けSNSである『ResearchGate』では、本学の研究者の中でもっとも論文を読まれており、私の研究が多くの注目を集めていると感じています。今後も企業との産学連携研究に積極的に取り組み、この研究を推進していきたい」


Focus
生産者に役立つ研究を志し





見渡す限りの大平原、100キロ四方に人口はたったの320人、夜に見える家の灯は3つだけ――今川教授の研究者としてのスタートは、アメリカの田舎町、アイダホ州フェアフィールドだった。「大学を卒業後、大学院で学びたいと考えていたのですが、実家の農業を継ぐことになり帰郷しました。ただ、農家の仕事についてみると、周囲を取り巻く厳しい環境に “このままでは日本の農業は続かないのでは”と考えるようになったのです。そこで一念発起して、アメリカでの研修を志しました」

農業研修生派米協会の制度に応募し、同地の畜産農家でカウボーイとして牛たちの世話をすることに。「でも最初の3カ月はボス以外誰も口をきいてくれず、あいさつも無視される始末。これはとんでもないところに配属されたなと(笑)。仕事以外やることもないので、“ウシを見よう”と観察していました」

やがて、発情したウシの見分け方や妊娠しやすい条件に気づき、雇い主に繁殖方法を助言するまでになる。

「この成果をまとめたリポートが、その後研修の一環として畜産学を学んだネブラスカ州立大学の研究者の目に留まり、その大学院に入学することになったのです」

大学院で学位を取得すると、企業での研究職などを経てアメリカ、日本の大学で研究に没頭してきた。「ウシに干し草を食べさせていたころから考えて、気づいたらこの道40年。常に考えていたのは生産者の役に立つ研究をしたいということでした」

その思いは今年4月から着任した東海大学でも変わらない。“1期生”として今川教授の研究室に所属した農学部生たちに実験機器の扱い方から指導しつつ、これまで続けてきた研究テーマの深化を図る。

「使ってしまった時間は取り返せません。学生たちには卒業研究を含め、後悔がないように最初によく考えて、自らが進むべき道を探してもらいたい」

 
(写真)研究室の学生たちには機器の使い方から指導

いまかわ・かずひこ 1952年宮城県田尻町(現・大崎市)生まれ。茨城大学農学部卒業。アメリカ・ネブラスカ州立大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。カンザス州立大学医学部准教授、東京大学大学院農学生命科学研究科教授などを経て2018年4月より現職。趣味は登山と野球。