Column:Point Of View
2018年7月1日号
痕跡に誘われる行動
政治経済学部経済学科 林 良平 講師

人々の行動は痕跡として環境に刻まれる。その痕跡は、後から来た人にとっては行動の手がかりとなる。

山道は、泥ぬかるみ濘や滑りやすい場所などの危険にあふれている。崖から転落したり、橋桁を踏み抜いたりするかもしれない。しかし、不慣れな山であっても、どこを踏み歩くべきかを人は自然と理解できるものである。それは、先せんだつ達の痕跡が残っているからである。目的地までの最短経路は獣けものみち道のように草が押し倒されているし、滑りやすい岩には靴底の擦れた跡が土色に残されている。道に迷えば、あるはずの痕跡がないということも情報になる。

スキー場のゲレンデで、滑る前に詳細にコースを確認する人は少ないだろう。リフトに乗って山頂まで行けば、あとは前を滑った人のスキー板の跡が、コースの難易度までも適宜教えてくれる。

熟練した技も道具に痕跡を残す。やすり製造所で45年間使い続けた金槌の柄は、人差し指のかかる部分が深く摩耗し、一部分に大きな負荷がかかることを物語っている。若手職人は柄を握ることで、熟練職人が金槌を振り下ろして叩きつけているのではなく、持ち上げて落とすように使っていることに気づく。

靴の脱ぎ方も痕跡に誘われる。家や歯医者の三たたき和土で靴を脱ぐとき、靴が整頓されていると、自分もそろえて室内へ上がる。逆に散乱していると、脱ぎ散らかして上がる。以前に脱いだ人の痕跡が以後の人の規範になるのである。

痕跡を手がかりに行動することを逆手に取った痕跡づくりもできる。映画『シャイニング』の中で、正気を失った父ジャックに執拗に追われて雪の中を逃げ惑う一人息子のダニーは、ろ向きに歩き父を欺いた。雪に残る足跡を手がかりに追ってきていると気づき、誤った痕跡を恣意的に作り、難を逃れたのである。

著者が以前勤務していた学校では、プールの裏手で雑草に身を隠して喫煙をする学生がいて、注意を促す貼り紙が貼られた。しかし、貼り紙の真下に吸い殻が落ちているなど、対策の効果は乏しかった。そこで著者は、水泳部の学生とともに雑草地帯を開墾してイチゴ畑にした。その結果、吸い殻はなくなった。毎朝の水やりの跡は、喫煙者に人が頻繁に来ていることを伝え、もはやよい隠れ場所ではないことを理解させたようである。振り返って考えると、貼り紙は人が来ないよい隠れ場所であることを喫煙者に伝えていたのかもしれない。

(筆者は毎号交代します)